GONGJU CITY

메뉴

熊津百済の王城、公山城

公山城は百済の首都が熊津であった熊津都邑期(475∼538年)に王都・熊津(現公州)の防衛設備として造られた王城で、錦江周辺の自然地形を最大限に活用して築かれた天恵の要塞である。文周王元年に漢江流域(漢城:現ソウル)から熊津に遷都してから聖明王16年に泗沘(現扶余)に遷都されるまでの5代64年間に渡り王都を守ってきた。

臨流閣は百済第24代東城王(500年)時代に王宮の東側に建てられた楼閣で、王と臣下たちの宴会場として使用されていたと見られている。武陵王陵の遺物の紋様を丹青として活用、再現された。王宮址の蓮池から発掘された三足土器や受け皿、瓦などからは百済王室の生活文化を窺い知ることができる。また、霊隠寺の蓮池は石が整然と並べて積まれており、東西に広い通路があり、錦江との間に挽河楼がある。

公山城の楼閣

公山城には東西南北の四方に通じる各方面に、迎東楼、錦西楼、鎮南楼、拱北楼がある。迎東楼周辺では百済時代の土城と朝鮮時代の石造城をともに見ることができ、錦西楼では百済王城を守備した守門兵の勤務交代式(4∼10月の週末/酷暑期除く)が再現、夜景もまた美しい。鎮南楼は三南(全羅道、慶尚道、忠清道)の関門で、拱北楼は錦江沿いにある朝鮮時代を代表する門楼(道指定有形文化財第37号)様式で建立されている。